米国の有人宇宙飛行 ENGLISH

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 人工衛星の打上げでソ連に後れをとった米国は、国の威信をかけて有人宇宙飛行で優位に立とうとしました。特にケネディ大統領が1960年代中に月へ人類を送り込むと宣言したことで、NASAは膨大な人員と予算を投じてアポロ計画を推進しました。

1.マーキュリー計画(6機)
マーキュリー計画

 米国はこの計画でフリーダム7(シェパード)、リバティーベル7(グリソム)、フレンドシップ7(グレン)、オーロラ7(カーペンター)、シグマ7(シラー)、フェイス7(クーパー)の6機の有人宇宙船を打ち上げました。( )内は搭乗した宇宙飛行士です。最初の2機は人工衛星ではなく、弾道飛行(サブオービタル)でした。
(米国発行、1962年、SC#1193)

マーキュリー宇宙船の打上げ

アトラスD型ロケットの点火

アスンシオン発行、1987年、SC#420)
マーキュリー宇宙船の打上げ

アトラスD型ロケットのリフトオフ

アスンシオン発行、1987年、SC#421)
マーキュリー宇宙船の地球帰還

有人カプセルの再突入

アスンシオン発行、1987年、SC#422)
マーキュリー宇宙船の回収

パラシュートを開いて洋上へスプラシュ・ダウン

アスンシオン発行、1987年、SC#423)

2.ジェミニ計画(10機)
ジェミニ4号で初の宇宙遊泳

 1965年に米国は初めて船外活動(EVA)に成功しました。この宇宙飛行士はホワイトです。
(米国発行、1967年、SC#1331-32)

ジェミニ6−A

ジェミニ7


1965年、2機の有人宇宙船でランデブーをしました。
(ルーマニア発行、1966年、SC#1848)


3.アポロ計画(有人は12回でうち1回は失敗)
 アポロ計画の詳細は別室へどうぞ。
月面に立つ宇宙飛行士
 1969年、米国はアポロ11号で初めて月に人類を着陸させました。
 
(米国発行、1981年、SC#1912)


4.スカイラブ計画(有人打上げは3回)
スカイラブ計画
 スカイラブを「空の恋」と訳してはいけません。ラブとは研究室のことです。アポロ計画からスペースシャトル計画に移行する途中の、いわば小型宇宙ステーションでした。
1号から4号まで4回打ち上げられています。
スカイラブ1号は1979年にオーストラリアに近いインド洋に落下しました。
(米国発行、1974年、SC#1529)


5.アポロ・ソユーズ計画
(1回) その他のアポロ・ソユーズ切手は別室へどうぞ。
アポロ・ソユーズ計画

 スカイラブ計画が終わったあと、米国のアポロ宇宙船(18号)とソ連のソユーズ宇宙船(19号)をドッキングさせ、初めて米ソの宇宙飛行士が共同作業を行いました。

(米国発行、1975年、SC#1569-70)

6.スペースシャトル  スペースシャトル計画の詳細は別室へどうぞ。
Return to Space

 ジェミニに搭乗した上院議員グレン氏は1998年に77歳でスペースシャトルに搭乗しました。
 この切手は20世紀切手の1990年代の15件の一つです。
(米国発行、2000年、SC#3191h)


7.国際宇宙ステーション 国際宇宙ステーション計画の詳細は別室へどうぞ。
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